1980年代の事故
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パンナム103便事故
1988年12月21日、夕方ロンドン発ニューヨーク行きのパン・アメリカン航空103便が空中で爆発しスコットランドの小さな街ロカビーに墜落した。 この事故では乗員乗客全員が死亡したほか地上にいた11人が死亡した。

事故の詳細

パン・アメリカン航空の103便は18時25分ロンドン・ヒースロー空港をニューヨークに向けて飛び立った。 31分後巡航高度3万1千フィートに到達した。 その後19時3分に前方貨物室で爆発が起きた。 この爆発で機体にはおきな穴があき荷物が主翼などにぶつかりながら落ちた。 その後割れ目は機体前方部分全体に広がりコックピットを含む前方部分が分離しエンジン一つを破壊してから地上に落ちた。 残りの機体はほぼ直角に落ちはじめ貨物室の部分がスコットランドのロカビーという小さな街のローズテラスに落ち地上の人が犠牲となった。 その後主翼が地上に激突し大量の燃料が引火し爆発した。 乗客乗員259人は全員死亡した。 破片は数キロ四方に広がり捜査は難航を極めたがコックピット部分の半分は副操縦士の遺体がシートベルトでイスに固定されたまま見つかった。

原因

爆弾を隠したラジオカセットプレイヤーはまずリビア・アラブ航空の便でフランクフルトに運ばれそこからパン・アメリカン航空のロンドン行きの便に積み込まれた。 そしてその便から103便に積み込まれたと思われる。 しかし犯人は詳しいことを話さないため具体的にどのように積み込んだかやどのようにして作ったかなどはわかっていない。 またリビア政府が関与しているという可能性が指摘されているが決定的な証拠がない状況。

パンアメリカン航空

パンアメリカン航空は747を初就航させた航空会社で太平洋線を就航していた。 しかしこの事故を含め墜落事故などが相次ぎ倒産。 太平洋線はユナイテッド航空に売却された。 しかし最近アメリカ国内線への再参入をしネットワークを徐々に広げている。

747

747-100,200は航空業界の地代を変えた機体。 初の2階建てと燃費の良さなどがあげられる。 初飛行は1969年2月9日。 1991年まで生産されたが現在も主要航空会社のノースウエスト航空や日本航空などが所有しているほかアフリカや南米の航空会社が所有していることが多い。

裁判

この事故のリビア国籍の犯人2人は1991年に捕まったがリビアは犯人の引き渡しを拒否しアメリカから経済制裁を受けた。 その後中立国で裁判を受けるという形で1999年オランダにある元アメリカ空軍基地で裁判にかけられた。 罪は殺人罪。 しかしスコットランドで事故が起きたため法律はスコットランドの法を使用することとした。 そして事故から12年以上たった2001年1月31日判決が下りた。 犯人一人は有罪で無期懲役、しかしもう一人の容疑者は無罪となった。

犯人

事故当時犯人の一人はリビア・アラブ航空のマルタ空港で運行部部長として働いていた。 そのため荷物などを警備をすり抜けて航空機に詰め込んだと思われる。 もう一人の無罪となった人は同じくリビア・アラブ航空のマルタ空港に配属されていた。 証拠としては有罪となった犯人が買ったズボンの一部が爆弾を隠すものとして使用され墜落現場から発見された。 また爆弾を隠したカバンを持っていたという目撃証言があったため。

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