1970年代の事故

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テネリフ事故
目次:
事故の詳細 衝突の瞬間 klmオランダ航空 パン・アメリカン航空 b747-100,200

1977年に起きたこの事故は航空機事故死者数最大で583人が死亡したスペインのリゾート地で起きた事故である。 (Source:Aviation Safety Network)

事故の詳細

ラス・パルマス(Las Palmas)空港で12時30分頃爆破事件が起きた。 再発を恐れ空港は15時まで閉鎖されこの時間に到着予定の航空機はテネリフ(Tenerife)にダイバートした。 天候は悪く視界も悪い。 事故直前まで2ー3キロあった視界も事故当時は300メートルに減少していた。 このなかにKLMオランダ航空のアムステルダム発4805便とパン・アメリカン航空(後パンナム)のロサンゼルス発ニューヨーク経由の1736便もあった。 空港は大混雑で誘導路にも航空機が停まっている状態。 そのためパンナム航空の1736便は滑走路を逆行しなくてはいけなかった。 しかしその入り口にKLMオランダ航空の4805便が駐機していた為1736便は2時間待たされた。 KLMの4805便は給油と乗客(一人を除く)を再搭乗させると滑走路を逆行しはじめた。 その後パンナムの1736便も逆行を許可され滑走路を走行していた。 KLMの4805便は滑走路で180度回転し管制塔に離陸準備の完了を報告した。 このとき管制塔は離陸を許可しなかったのだが。

17時6分9秒:KLMのパイロットは"we are now at take off(離陸滑走を始めた)"と報告。 これは離陸を開始したという事だったのだがパンナム機はまだ滑走路にいる為管制塔は"stand by for take off, i will call you(離陸準備をして待機)"とKLMに伝えた。 しかしこの時パンナムからの交信が入りKLMには伝わらなかった。

17時6分29秒:パンナムのパイロットは誘導路に入ったら連絡すると管制塔に伝える。

KLMのフライト・エンジニアはパンナム機がまだいるのではないかとパイロットに聞くがパイロットは"YES(状況はわかっている)"とはっきり答えただけだった。 そしてKLMのクルーは追突直前にパンナム機がまだ滑走路上にいることを知り機体を上昇させようとした。 パンナム機のパイロットも右によけエンジン出力を最大にし激突を避けようとした。 KLM機は離陸したがパンナム機の機体にぶつかり150メートル飛び300メートル滑走路上を滑り爆発した。 KLM機の乗員乗客248人は全員死亡、パンナムの396人中335人が死亡した。 視界不良の為目撃者などはなかったがパンナム機の副操縦士は生還した。

衝突の瞬間

衝突の際パンナム機は滑走路の中心線から45度をむいていた。 KLMの第1エンジンがパンナムの右サイドをかすめ主脚がパンナムの第3エンジンにぶつかった。 またKLMの胴体部分がパンナム機の胴体と接触した。 KLM機はすでに離陸し宙に浮いていてコントロール不能状態で150メートル飛ばされた。 パンナム機の右サイドの一部がKLMの残骸部分で発見されている。 衝突はそれほど激しくなかったが火災によりKLMの乗員乗客は脱出ドアを開ける暇さえなく全員死亡した。 一方のパンナム機の方はファーストクラス部分がなくなっており左サイドのドアから脱出し翼から地上に飛び降りたという。

KLMオランダ航空

KLMオランダ航空は世界で一番古い航空会社として現在も世界中にネットワークを持つ。 日本でもヨーロッパの航空会社として札幌などに唯一就航している。 アリタリア航空との合併が失敗したがノースウエスト航空との提携している。

パン・アメリカン航空

パン・アメリカン航空は747を初就航させた航空会社で太平洋線を就航していた。 しかしテネリフ以外に爆破事故や墜落事故などが相次ぎ倒産。 太平洋線はユナイテッド航空に売却された。 しかし最近アメリカ国内線への参入を再開しネットワークを徐々に広げている。

747-100,200

747-100,200は航空業界の地代を変えた機体。 初の2階建てと燃費の良さなどがあげられる。 初飛行は1969年2月9日。 1991年まで生産されたが現在も主要航空会社のノースウエスト航空や日本航空などが所有しているほかアフリカや南米の航空会社が所有していることが多い。

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